なぜ会社を作ったのか

2018年10月16日

初めまして。
CEOの道畑と申します。
今回は、なぜ自分がこのタイミングで起業したのか、またこれからどういう会社にしたいのかを、お伝えできればと思います。
長くはなってしまいますが、まず私について書かせていただきます。


🔖 目次


1. 学生時代
2. 悩んだ就職活動
3. 何回もあった挫折とその中で学んだこと
4. 起業に対する想い
5. 今後の会社について



1. 学生時代


元々私は、和歌山県の片田舎で育ちました。
中学校教師の父親と専業主婦の母親という、典型的な地方にある家庭の3人兄弟の2番目でした。
母親からは、「公務員が一番。安定が一番。」と念仏のように聞かされ、他方で父親の仕事をする背中を見て「教育」っていいなと思い、漠然と教育に関係する仕事がしたいなと思っていました。

高校卒業後の進路を考える中で、一度は東京に出てきたいと思い、当時サッカーもやっていたので、サッカーが強くて教師にもなれるということで、東京学芸大学というところに進学しました。
とはいえ、サッカーが好きと言ってもプロになれるレベルではなく、かといって、このまま本当に教師として一生を終える覚悟があるのか、と自問すると、とても無理だと思い、じゃあ官僚になって日本を良くしようと思い(ここでも母親の念仏が残っていましたw)、退学後、1年間猛勉強し東大へ進学しました。


2. 悩んだ就職活動


進学後、当初の思いの通り国Ⅰを受験し、官庁訪問に行ったわけですが、4次面接くらいだったと思いますが、ハッキリと「ここは通してあげるけど、キミの話を聞いてるとうちは合わないと思うよ、〇〇庁とかに出向することあるけど遣り甲斐見つけられる?」と言われまして、「あ、確かに無理だ」と思い、辞退しました。
ここから私の迷子の人生がさらに強くまりました。

大学4年の夏休み前にこのざまだったので、とりあえず何も考えずに、じゃあやはり教師になろうかな、ということで、後期授業で60単位くらい詰め込んで教職を取りました。
ただ、どうせなら数学の教師になりたいってことで、卒業後1年間通信大学の教職課程を取りながら塾講師のアルバイトをして暮らしていました。

そうすると、また例の「このまま教師として一生追える覚悟があるのか」の悩みが出てきました。
今の自分じゃ、生徒に何も伝えることができない、と思い、やはり社会に出ねば、ということで民間就職を考え始めました。しかし、大した就職活動もしておらず、全くと言っていいほど何も業界のことなど知らなかったので焦りました。
この時すでに3学年人より遅れています。
人づてに、コンサル業界がいいよ、と聞き、いろいろ活動した結果、運よく、ある中小のコンサルティング会社に拾われました。


3. 何回もあった挫折とその中で学んだこと


そこの会社はすごかったです。社長が一人で1億円弱稼いできて、10数人の社員を抱えていました。
非常に漢気のある方で、今でもかなり影響を受けています。
こんな風になりたいと思い、寝袋持ち込んで仕事に邁進してました。
ただ、なかなか成長を実感できずにいましたねw 石の上にも3年ということで頑張りましたが、なかなか成果を上げられず、辛かった記憶があります。
もう少し、同世代と働いてみたいと思い、探したところ、これまた運良くディーエヌエーに拾っていただきました。

こちらの会社もまた非常に楽しかったです。
とにかく、みんな優秀で仕事にコミットしてて。
最後まで、ソーシャルゲームという業種は好きになれませんでしたが、、、 「全力コミット」「最後の砦意識」「二段階上の視点」なんかは、Vitalizeでもメンバーみんなに伝えてる、非常にインパクトのある軸です。

また、コンサルタントにチャレンジしたいと思い転職しました。
こちらは、事業再生という、業績があまり良くない会社に入り込んで、業績を立て直す、という仕事です。
非常にやりがいがありました。
ここでは、「人を動かす」ということにすごく苦労しました。
業績が悪くなると、力のある中堅社員が抜けて、若手と年配社員という構成になりがちです。
年配社員は、今までのやり方を変えるのにすごく抵抗があり、こちらを銀行の手先として見てきます。
正論じゃ動きません。いろいろ率先垂範でやろうとするも、それぞれのクライアントから高いフィーをいただくわけにもいかず、できることは改善計画を作ってモニタリングするだけ。。
何も役に立てずすごく歯がゆかったです。退職後ですが、自分が支援していたクライアント先が倒産したと聞き、すごく落ち込んだのを覚えています。

完全に目標を見失っていた時に、お声がけいただいたのが、ベアーズという会社さんでした。
こちらは、家事代行という日本でこれから発展していくであろう産業のリーディングカンパニーでした。
そこでは基幹システムの刷新を任されました。
と言っても、このとき、自分は、経験年数計2年あるか無いかの低スペックエンジニアでした。
基幹システムだけやっていればいいわけではなく、日々、ネットワークがつながらない、ファイルサーバが壊れた、など、ググりながらなんとか対処をするの毎日でした。
まさに、「最後の砦意識」でなんとか毎日過ごしていました。
エンジニアもなかなか採用できず、未経験で地頭の良さそうな子が面接に来ると、必死に口説いたのを覚えています。
しかし、ここでも、最終的に基幹システムをリリースしきれず大きな挫折を経験しました。

次に入った会社はリブセンスですが、いったん、ちょっと仕事以外の話をしたいと思います。

実は、30歳くらいまで社会人サッカーをしていました。
2チームを新規で立ち上げました。
しかし、最終的にどちらもうまくマネジメントしきれませんでした。
その頃の私は、今思えば、本当にマネジメント力のかけらもなかったと思います。
自分流の正論しか伝えない、伝え方も一方的、なぜできないかを叱責。誰も付いてこないですよね。
ここの失敗経験は、後のリブセンスでかなり活かせたと思います。

リブセンスに入社したころは、司法試験に受かって弁護士になって、傍らで自分のビジネスができればいい、なんて思って、始業時間前後で毎日ずっと勉強していました。
リブセンスでは、分析業務なんかをやっていましたが、マネジメントからは逃げていました。。
しかし、司法試験も予備試験が突破できずに断念し、同僚がマネジメント複数掛け持ちしながらコミットしているのを見てて、情けなくて、マネジメントを引き受けました。
ここからは、人材紹介事業のグロース→宮崎支社の立ち上げ→事業責任者をいろいろ経験させていただきました。
今でも社長には感謝の念しかないです。お返ししきれなくて申し訳なかったです。


4. 起業に対する想い


ところで、経営に近くなればなるほど、「自分だったらこうするのに」が増えてきました。
社長からは、非常に扱いづらい人物だったと思います。
結局、こんなことを思っても、自分でリスクを背負わない、ってことは、ただの文句にしか過ぎない、とも感じていました。

この次に、ご紹介で、VCに入社させていただきましたが、関係者に申し訳ないくらいすぐに辞めてしまいました。
もちろん一番の原因は、自分が何にも役に立てないということだったのですが、次に、投資先をいくつも訪問しているうちに、みんなリスクを背負って、頑張っている姿を見て、もう自分も我慢できなくなりました。
その後3か月くらい準備をして、会社を登記しました。

以上が経緯です。

改めて振り返ってみるといろいろ思うことがあります。あくまで個人的な感想です。
出会った経営者は、誰もが誠実で真剣でした。同僚部下にも恵まれてました。
一方で、いくつか疑問もありました。

 ・なぜ売上を伸ばさないといけないのか、なぜ成長しないといけないのか?上場会社だから?
 ・評価って本当に必要か?そもそも自分は人を評価できるくらい仕事ができるのか?
 ・なぜいい人が集まっているのに、いい集団にはならないのか?
 ・金儲けも大事 でもやりがいも大事 なぜ清濁併せ飲むが堂々を言えないのか
 ・職種同士事業同士のセクショナリズムがどうして起こるのか、本当に必要か

などなど


5. 今後の会社について


それらの感想から、今現時点では、こんな会社にしたいと思ってます。

・社員数は100~150人くらい
・ある程度規模が無いとインパクトを世の中に与えられない
・大きすぎると、会社としての一体感がなくなり面白くない
・社会問題を解決する事業をしたい でもそのためには、金儲けの事業も大切にする
・金儲けのための事業も遣り甲斐を感じられるものにする
・良き人を仲間にする
・根が優しい
・利他的
・できないじゃなくどうやったらできるかを考えられる
・最後の砦意識を持って仕事に向き合える
・仲間を大事にする
・仕事以外に関しても助け合う

以上です。
どこまで達成できるかわかりませんし、今後変わるかもしれませんが、今はこんな思いを大切にしたいと思います。
長文失礼いたしました。 

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